今年もアカデミー賞の季節がやってきて、受賞作が決まりましたね。
この作品もノミネートされてました。
無冠に終わったのは意外。
「フェイブルマンズ」
初めて映画館を訪れて以来、映画に夢中になったサミー・フェイブルマン少年は、8ミリカメラを手に家族の休暇や旅行の記録係となり、妹や友人たちが出演する作品を制作する。そんなサミーを芸術家の母は応援するが、科学者の父は不真面目な趣味だと考えていた。そんな中、一家は西部へと引っ越し、そこでの様々な出来事がサミーの未来を変えていく・・・。(映画館サイトより)
スピルバーグ監督の自伝的な作品と言うことで、どんな仕上がりかと気になってました。なるほど、これはフェイブルマン「ズ」のタイトル通り、彼と家族の物語。
彼がいかにして映画に目覚め、監督への道を歩むことになるか、それをフェイブルマン一家が過ごす日々の中で描いてます。意外と淡々?と話が進むのですが、そこはスピルバーグ。やはり手練れの技ですね。
以下ネタバレあり。
初めての映画体験。画面の中で列車と車が衝突するシーンに心を持っていかれたサミー少年が自宅で何度もおもちゃを使って再現する。それを見た母親が8ミリカメラで撮ってみてはと勧める。あー、これが後の「激突」と言う映画に影響するんだなと想像。
妹たちを使って日常の中で実験的に撮ることから、だんだんボーイスカウト仲間で西部劇を撮るなど本格的に撮影の楽しさにのめりこんでいいくサミー。
あからさまではなく、監督の作品たちに繋がる要素があれこれと窺えるので、こちらが観ながらそれを考えるのも楽しい。
理系の父とピアノが得意な芸術家肌の母、そして妹たち・・・と言う仲の良い家族。
そこに家族同様に共に過ごす父の助手、ベニーおじさんも加わる。
皆で過したキャンプの思い出を記録映像として編集していたサミーが母親の別の顔をフィルムの中に発見してしまう。多感な時期に何という衝撃。
そしてその事実を母に編集して見せてしまうという残酷。それが結果的に家族を壊してしまうことにつながるのです。なかなかシリアスな展開に心が痛みますが、家族の重大な局面でも既に映画に魂を奪われているサミーはカメラを回してしまうことを想像するという・・・。子供時代から才覚がある人は視点が違います。
そう、芸術ってこういう面があるんですよね。
ここでショービジネスの中で生きている親戚のボリスおじさんが語っていた「芸術と家庭の間で引き裂かれる」と言う言葉がフッと浮かびます。
父の転勤に伴い、引っ越しを重ねる一家。サミーはユダヤ系であるため高校でいじめにあう。生徒同士の衝突シーンではスピルバーグ監督の近作として観たのが「ウエストサイド・ストーリー」だったからか、今にも若者たちが歌って踊りだすのでは?と錯覚したりして。ひょんなことから彼女が出来た青春の甘酸っぱさもあり(なかなかユニークな彼女!)、苦さもあり。
生徒たちが浜辺で弾ける楽しい一日を記録した映画をプロムの夜に上映。
皆は拍手喝采で大喜び。でもいじめっ子ローガンは浮かない顔。映像に映し出された自分の姿はあまりにも光り輝き、みんなに称賛されてもそれが虚像に感じられたのか。
自分を虐めた相手をサミー自身がこのように撮ってしまうという。
映画における真実と虚実。なかなか深い描き方です。
結局両親は離婚の道を選び、母親はベニーの元へ。
母を演じるミシェル・ウィリアムズ、ちょっと変わった芸術性のある繊細な女性を魅力的に演じていて、彼女なら自分の心に嘘はつけないだろうなと納得。
それを受ける父親の物静かな演技、ポール・ダノも良かったです。
監督の人生をどこまで描くのかなと思っていたら!
映像関係の仕事に就いたサミーがある事務所で偶然会うことができた憧れの名監督。
デビッド・リンチが演じるとは!(よくこの役を引き受けたなぁ)
もう登場した時から面白過ぎるし、存在感ありすぎてサミーの心境にシンクロ(笑)
これ、実際のエピソードなんですね。
ラストカットもニヤリ。ズルい~(ほめてます)
辛い出来事も経て辿り着いた、まるでご褒美のような最終章。
・・・いや本当の映画人生はここから始まるという。
劇中、母が教えた「すべての出来事に意味がある」と言う台詞が活きてきます。
エンタメからシリアス物まで幅広く撮ってきた監督だからこそ、今撮れた作品だったような気がしますね。
そしてアカデミー賞では無冠のそれも「意味がある」かな。
まあゴールデングローブ賞は獲って評価はされてますが、それよりもこの作品は監督がどうしても撮っておきたかった、その強い思いを感じました。